
2025年11月25日、日本経済新聞の夕刊に、
70歳前後「アラ古希」ワーカーの悩み トイレ・耳が遠い…配慮途上
という記事が掲載されました。
シニアの労働に関しては、25年4月から希望者全員の65歳までの雇用継続が企業の義務、70歳までの就業機会の確保も21年4月から努力義務となっており、記事にもあるように10年前と比較して働くシニア世代は大幅に増加しています。
「生活費のため」「社会とのつながりのため」「健康維持のため」など、働く理由は人それぞれですが、働く意欲はあっても、体力や記憶力の衰え・フルタイム前提の勤務体系・成果に対する評価の難しさなど、働く側・雇用する側双方が課題を感じている状況は想像に難くありません。
多くの業種で人手不足が叫ばれる中、シニア世代の労働力を活用したいと考えている企業もあるかと思いますが、そのためには特有の配慮が必要となるかもしれません。
例えば、長時間労働を前提とせず休憩を取りやすい勤務設計や業務配分、複雑なIT操作を前提としない仕組み、経験を「助言やアイデア」として生かせる役割設計など。これらは年齢を重ねたことをネガティブに切り捨てるのではなく、能力を生かすための調整といえるでしょう。
しかし、ここで立ち止まって考えたいのが、これらの配慮は「シニアのためだけの特別扱い」なのか?ということです。
短時間勤務や柔軟な働き方は、子育てや介護を担う現役世代にも必要とされています。
分かりやすい業務設計や適度に複雑でないITシステムは、障害のある人や外国人労働者、環境変化に弱い人にとっても助けとなります。
経験や知識を尊重し、役割を再定義する発想は、若手の早期離職を防ぐヒントにもなりえます。
つまり、シニアが働きやすい社会を本気で考えることは、何らかの「働きにくさ」を抱える多様な人々を包み込む社会を考えることに重なるのではないか。
年齢、体力、家庭環境、特性の違い。そうした多様性に応じた調整が「特別扱い」ではなく「標準仕様」になる時、働くことのハードルは下がり、より働きやすい社会となっていくのではないでしょうか。
今後も現役世代の人口減少が進み、かつ人材の流動性が高まっていくと、「誰もがフルスペックで働ける」ことを前提とした職場では、採用面で一層難しくなっていくかもしれません。
シニアが役割を持って、活き活きと働き続けられる社会。
それは同時に、誰もが無理をしすぎずに力を発揮できる社会への、一つの入り口と言えると思います。
<木藤 なつみ>