
11月4日の日本経済新聞に
Google、学校でAIと検索機能を禁止可能に 提供拡大から一転
という記事が掲載されました。
私は、このニュースを読み、テクノロジーを進化させる時代からテクノロジーを制御する時代へと変わってきたのではないかと思いました。
AIは、これからも進化し続け、完全に止めることは難しいでしょう。禁止や制限だけで進化を止めることはできません。フェイク画像やフェイク動画もどんどん本物と見分けがつかなくなってきました。
しかし、写真や動画の精巧さは進化しましたが、例えば地理を勉強し、その土地に関連のないものが写っている。歴史を勉強し、その時代には存在していないものが写っている等、人間の知識や経験で判断するポイントもあるのではないでしょうか。その判断力は個人が身につけなければなりません。
これからは、AIを作る技術だけでなく、AIと共存し、責任を持って制御する力が必要になるのではないでしょうか。
では、私自身AIを制御できているのか。全くできておりません。そして、私が学生に戻ったらAIを使わないのか。めちゃくちゃ使うと思います。答えもすぐ調べるでしょう。先生に使ってはいけないと言われてもバレないように使うでしょうし、どうしたらバレないかをAIに聞くでしょう。
ただ、楽をすることが自分の将来、役に立たないことも理解できると思います。そのなんとも言えない後ろめたさをいまの学生さん達も感じているのではないでしょうか。
私は、学校でのAI利用は完全に禁止するのではなく、正しい使い方を教えながら活用していくことが大切だと思います。
これからAIを使う機会はさらに増えていくと考えられるので、AIに頼りすぎず、自分で考える力も大切にしていきたいものです。
また、スポーツで汗を流すことや楽器を演奏する等の体験する喜びはどんなにAIが発達しても自分自身でしか得られないですよね。上手くいかないことも含め経験し、時には緊張し、眠れないことや、失敗して痛い思いもする必要があるのではないでしょうか。そうした経験こそが、人間らしさを育てていくのだと思います。
AIは正解をすぐに教えてくれますし、失敗もしません。しかし、人間は失敗することから学び、悩むことで成長し、努力するからこそ喜びを感じることができます。
何でも効率よく、簡単に済ませられる時代だからこそ、あえて時間をかけたり、遠回りしたりすることにも価値があるのではないでしょうか。
AIにできることをまかせても人間にしか味わえない感情は決して手放してはいけません。
1日の終わりに飲む美味しいお酒もAIに飲ませるわけにいきませんよね。
<清水 雅友>
